本を基にした訳でも心理学を勉強した訳でもないので全部個人の思いこみと思ってもらっても仕方ないと思う。そのうえで簡単にこの二つについて言えば、オタクは物質的でファンは肉体的(性的)な感じがするということ。前者は対象が偶然人であっただけで、キャラクターやそれこそ本にも同じように執着するし、後者は基本的には人を対象にしている。
ここからはなんとなく思ったことを箇条書きで。
- オタクは対象に価値を求め、ファンは美しさや理想を求める
- オタクは見る(see)ことを重視し、ファンは会う(meet)を重視する (引用)
- オタクは受動的で、ファンは能動的
- オタクは知識を求め、ファンは実感を求める
好きな対象のお気に入りのキャラクターがワンピースのルフィだと分かった時、オタクは絶対に忘れないようにインターネットを開き自分のブログの好きな対象のプロフィール欄に「好きなキャラクターはワンピースのルフィ」とメモして悦にいって終わるのに対して、ファンは「じゃあ今度、コンサートか空港でルフィのキーホルダーをあげよう♡」と考えるのではないかと。
少し極端に書いたけれど実感として強ち間違っていないと思う。
少し極端に書いたけれど実感として強ち間違っていないと思う。
だから何なのかと言われればそれまでだし、結局自分の中のもやもやを解決したかっただけなので書けたことが満足だけど、ここでひとつ疑問をあげてみると「盲目ファン」という言葉は果たしてどうなのかということ。辞書から引用してみると、
盲目・・・目が見えないこと。あるいはそれを比喩的に用い、対象以外のものが見えなくなってしまうことを指す。 hatena「盲目ファン」は間違っていないと思う。でもこの言葉がぴったりくるのはオタクの方なのかなと。もしくはオタクが盲目という言葉を使う時は「自分を貶める」のに対して、ファンが使う時は「対象が高いところにあって手が届かない」と意味を持っているように感じてしまうのです。
或いは自己満足と言う言葉。ただ「自分だけの満足」という意味だけではなく「対象に求めない代わりに自己の満足」という一面があるのではないかと思う。そう考えればオタクの思考に非常に近い。(補足:ファンはgive and takeを求めることが多い)
ここまでが私個人が考えたことで、きっと異論も沢山あるだろうけれどその時はいろいろ指摘していただけると嬉しいです。
▲オタクの精神
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